徳川家康の静岡の拠点、浜松城

現在の浜松城

浜松城公園は市役所のすぐそばにあるので迷子になる心配はないでしょう。

もしみなさんが観光で浜松城を訪れたいのなら、目的地の設定は浜松城公園でも 浜松市役所でも問題なくお城まで到着することができるでしょう。 自動車で行かれるのなら駐車場の関係で浜松城公園にカーナビを設定したほうが 良いかもしれませんが、市役所と隣接しているので結局はほぼ同じ場所まで案内 されるのでたいした違いはなさそうです。 公共機関で行かれるのならJRの浜松駅からバスが出ているので「浜松城公園前」 へ停車するバスを探して乗り込めばオッケーです。 これならだいたい5分ほどで到着できます。 徒歩でも行ける近所の方なら市役所に書類を提出するついでに立ち寄っても よさそうな気楽なお散歩コースですし、あまり構えて「行くぞ!」と緊張する ような場所でもないのでラフば格好で向かえばいいでしょう。 本丸跡地には歯朶を手にした徳川家康像があります。 歯朶は家康のトレードマークのひとつでげんを担ぐ戦国武将なら誰しも持っている お気に入りの一品です。 甲冑飾りで兜にもあしらわれているので、彼のフィギュアや銅像を所有している 人は今すぐ確認してみましょう、きっと歯朶(シダ)が目に入るはずです。 兜に注目すると歯朶の葉形がよくわかるので、「歯朶ってどんな形だっけ、ちょっと 失念しちゃった」といった場合には家康のフィギュアを見れば解答が得られるので なかなか便利かもしれませんね。 徳川家康の歯朶具足は御無想形、御霊夢形とも呼ばれており、関ヶ原の合戦の前に 霊夢により作られたとの逸話を持っています。 もちろんただ作っただけではなく関ヶ原の合戦では着用したそうで、この鎧が大きな 戦の勝利をもたらしたと考え、以後はげん担ぎのアイテムとして家康のお気に入り になったのは言うまでもありません。 しかもただのお気に入りとは到底言えぬ扱いで、家康の死後三代将軍家光の代には この鎧は江戸城に移管されるほど重要な扱いをされます。 四代将軍家綱に至っては模造品を造り(御写形)、お正月には江戸城黒書院に飾る ことを恒例行事としていたほどです。 歯朶は家康公だけでなく徳川家全体の重要アイテムというべきでしょう。 なので浜松城本丸跡地の家康像だけでなく、世界中の徳川っぽい像には歯朶が どこかに飾られている可能性がありそうです。 浜松城の二の丸があった場所は今では市役所となっています。 その反対側が天守閣のあった方向で、振り返って目をやれば建て直された浜松城の 姿を拝むことができるでしょう。 家康像からそちらまで歩いていく途中には石垣と階段が並んでおり、体力の無い ご老体では少ししんどい道のりかもしれませんので慌てずゆっくり進みましょう。 攻めることが難しいとされていた浜松城なので、簡単に天守に到着できないよう 坂の上へ、そして石垣に囲まれるように築城されたと考えられています。 とにかく石垣は他のお城にも見られないほど圧倒的な重量感と威圧感を持っており、 築城から400年近く経っても野面積みの堅固な石垣が健在なことからも伺えますが 守りの要として大きな役割を担っていたのでしょう。 家康が去ってからも石垣は追加されてきたそうですし、浜松城とは石垣である、 という学者がいてもおかしくないほど頑丈な石垣が売りのお城です。 実物を見れば納得してもらえるでしょうが、ほんとうに石垣がメインのお城なのです。 「ここは普通の壁でいいだろ」という部分までもを、意地でも石垣で造ってやると 挑戦したかのような出来栄えになっているので、そちら系に多大な興味を持つ人に とってはお宝ともいえるお城が浜松城です。 コンクリートとは違い歴史を感じられるのでなかなか見ごたえもあります。