出世するなら浜松城
静岡県の浜松城は愛知県の名古屋城、岡崎城とも関係の深そうなお城です。
浜松城は誰が作ったのか、頭の良い小学生に質問すれば「大工さん!」と答える かもしれませんが歴史に詳しい人なら「徳川家康!」と答えるでしょう。 出世城とも呼ばれる浜松城は今川領の制圧を目論む徳川家康が、今から400年 以上も昔に三方原台地に築城した歴史のあるお城です。 それまで徳川家康は愛知県の岡崎城にいましたが、長男の信康に譲って今の静岡県 方面に侵攻を開始する過程でこのお城を築くのです。 1570年に徳川家康が入城してからも増改築は繰り返され、17年間ここで 暮らしたことで家康に深い関わりを持つと今でも観光地として人気があります。 徳川家康といえば愛知県の岡崎市が縁の地として有名ですが、多くの観光客を祝祭日 に呼び込むことが可能な人気にあやかろうと、戦国武将を活かした施設は全国にも 多数有り、また城マニアの興味を惹くことも多くの客足を呼び込むことになるので、 同じような施設が各地で積極的にアピールされています。 その中でも浜松城公園は頭ひとつ抜き出ており、春には浜松まつりが催されますし 元旦には天守閣で初日の出を眺めるイベントもあり、何回行っても飽きることが無い 魅惑の観光地として地元の方にも親しまれています。 出世城と呼ばれることも多くのサラリーマンを集客する理由になるかもしれません。 なぜこのような異名を持つのか、これは歴代城主が本当に出世してきた事実が あるからで、適当に「出世城って呼んどけば人気もうなぎのぼり、出世率が高くは ないけど試しに広めてみよう」と偽りのキャッチコピーを作ったわけではありません。 浜松城の藩政は260年、その間の城主は26代まで続きました。 城主になるだけでもかなりの出世なのですが、この26人の城主は在城中に幕府の 要職に就いた割合もかなり高いというから驚きです。 なんと老中になった人が5名、大坂城代2名、寺社奉行4人、京都所司代2名と、 半数近くの城主がそこからさらに上の要職へと出世しているのです。 これは野球チームで例えると、4番バッターに抜擢された強打者がその名誉職に 留まらず監督にまで昇進するようなことで、他の選手からは羨望の眼差しで見られ 憧れの的になる出世劇でしょう。 4番を任せられるだけでもたいした選手なのに、チームをまとめて勝利へと導く 監督にも就任するなんてとんでもない化け物です。 強打者が打撃コーチになることや、エースナンバーを背負っていたピッチャーが 投手コーチになるのとは次元が違います。 そんな偉人を10人近くも輩出してきた浜松城ですのでお城が稼動していた当時 から縁起の良さは知れ渡っており、城下で暮らす町民からも出世城と呼ばれていた ようなので、「次の城主様はどんな出世をするのかね?」と噂されていたのでしょう。 そもそも初代城主の徳川家康が後に天下の大将軍になっているので、それだけでも ご利益がありそうでぜひともあやかりたいと願う気持ちは否応無しに膨らみます。 将来の夢を浜松城主とする人も多かったでしょうし、23代目の水野越前守忠邦 さんなんかはかなり積極的に城主になろうとしたそうです。 この方は京都所司代老中と期待通りの出世街道を進み、天保の改革を行うなど歴史 に名を刻む活躍をすることになりました。 これも浜松城で城主を務めたからこそだと言われており、もし他の城で城主をして いたのならここまでの業績を残すことは出来なかったのではないか、ときっと同僚 たちに噂されていたのでしょう。 有能な人物であったとは思いますが、それだけでは偉業を成すことはできません。 運の要素も大きい時代において名声をあげることは、縁起を担いだりすることも 大切だったのでしょう。 ゆえに浜松城は出世城だと昔から語り継がれているのです。